《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

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COLUMN 40


中央アジア壁画

 


 114)は壁画である。恐らくアフガン出土であろう。パキスタンからは壁画はほとんど出ない。ほとんどアフガンからである。何故であろうか。たぶん壁画は4世紀以後だからであろうか。初期13世紀には壁画はあまりなかったのでは。従って、後期のアフガンから壁画が出てくるのであろう。
 

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1(2〜4)

 
厚さ
5pぐらいの漆喰の枚に描かれている。厚いパティナにおおわれていたのを私がナイフで削ってこの絵を出した。表面が少し変な感じがするのはそれのためである。ホンモノである。高かったので買えなかった。アメリカに渡ったようである。

 

 太子誕生と七歩行の図である。左右に象がいて鼻で蓮の華を持ち上げる。マーヤ夫人以下みな蓮の華の上に立つ。蓮華上に立つようになるのは後期とされている。仏典も6世紀ごろのに出てくるらしい。となると、これは6世紀ごろまで下るのかもしれない。

左の七歩行の太子に身光背がついている。身光背も45世紀以後のようである。

 

 今ひとつ、青色が光背のところどころに使われている。ラピスラズリから作った青色である。ラピスが産出するのはアフガンである。アフガン出土のガンダーラの頭部に時々この青を見かけるが、パキスタン出土のものには青は見かけない。
 



 ちなみに正倉院に伝わるベルトに使われているラピスの石板はアフガンから中国を経て日本までもたらされたものと言われている。もうひとつ付け加えると、ラピスの鉱山のあったらしいアイハヌム(このラピスの支配管理のためにアレキサンダー大王がこの町をつくったと考えられている)の近辺でクレタ島の文字のある金貨
(このクレタ文字はまだ解読されていない)が見つかっている。そのニセモノ金貨(あるいはホンモノだったかも)を私に買わないかといってきたことがある。地図上の直線距離で3000qだから徒歩では4000qの遠方より金貨を持ってラピスを買いに来たわけである。正倉院のものは、シルクロード中国を何人もの人手を渡ってきたものであるが、クレタの場合は、わざわざそれを買いに来たのである。ラピスに対するすさまじい熱意である。今の世界は人工の色彩に満ちあふれているからわからないだろうが、当時にはあの青は他には存在しなかったのだろう。それを求めてはるばる4000q。人の美しいものを求める心。「人はパンのみにて生きるにあらず」である。


 壁画のことを書いていたのだが、こんなところに飛んでしまった。この壁画は状態が悪いのが残念だが、非常にめずらしい壁画である。

 


 

 

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