《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

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COLUMN 35


仏塔
ストゥーパー — Stupa

 


過去仏の仏塔について書いたついでに、仏塔について触れておこう。

 「仏塔」については前述した杉本卓洲先生の『ブッダと仏塔の物語』に詳しい。詳しいと言っても「仏塔は謎に満ちその謎はふくらむばかり」というのが結論であるから厄介である。「土饅頭のかたちをしているが、それもどこから来たのか。」とも。古いインドの歴史のなかで仏塔を考えた場合、非常に複雑な問題があるのであろう。それを論ずる能力は私にはない。

 ただ、ガンダーラの仏塔に関する限り、そう複雑に考える必要はないのではなかろうか。私は大胆に、次のように仮説を立てたい。

 メイン・ストゥーパ、中央に位置する大塔は釈尊の遺骨をお祀りする墓である。そしてそのまわりにたくさんある小さな塔(奉献塔と言われている)は高僧も含まれているだろうが、当時の貴族(金持ち)の墓である。すなわち、釈尊の遺骨を祀る墓()を中心にした寺院、すなわちシルクロードの交易で裕福になった金持ちたちの墓場であると。

 

 まず大塔の周りにあるいわゆる奉献塔について考えたい。
奉献塔とは何か。詳しく定義した人はまだいないのではないだろうか。図
1がほぼ完品の奉献塔である。高さ73p、スワート出土である。
 

1
 

 

 こんなことがあった。数十年前に奉献塔がたくさんバジョールから出土し、10体日本に届いた。部品を積み上げてみるのだが、基壇、覆鉢、平頭と傘蓋。どれ一つとして正しい組み合わせのできるものがなかった。あとでパキスタンの業者に聞いたら、20体出土し半分をロンドンに、半分を日本に送ってきたという。20体の完品がごちゃごちゃになってロンドンと日本に届いた。この奉献塔をときたま日本でも見かけるが、部品が別のものが組み合わさっている。部品の石がちがう。大きさが不自然である……等々。
 

 タキシラやスワートの寺院跡(2,3)を見ても、中央に大きな塔、その周りに小塔の基壇が残っているのがわかる。この奉献塔と言われている小さな塔は私は個人の墓石だと思う。当時はシルクロードの交易で裕福な商人がいたはずである。そして、その裕福な商人の寄進でガンダーラ寺院が作られたのであろう。それ以外に考えられるであろうか。
 

2
 
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 個人の墓と私が言う根拠は、その中から出てくる舎利容器である。発掘されてから何人かの手を経て我々のところに来るから、我々が舎利容器の内に見るものが必ずしも発掘時のままかは定か出ないが、しかし数多くみているとだいたい内容物は同じようなものである。図
4がその一例である。

 

4
 
 金の小さな容器がよくある。その中には真珠の小さな玉がある。真珠を入れた金の容器が銀の容器に入っていることもある。それがまた大きな青銅の容器に入っていたこともあった。入れ子式になっている訳である。この入れ子様式は、法隆寺の五重の塔の心礎の下から出土した舎利容器も同じであったと云う。四天王寺でも同じだったそうだ。そして、そのまわりにメノウやラピスラズリでできた首飾り用の玉(ばらばらになっているが)またときたま骨が入っていることもある。あるお医者さんがそれを見て「これは人骨だよ」とおっしゃったことがある。歯が入っていたこともある。指輪はよくみる。耳飾りも。私の推測ではお釈迦さんの遺骨の象徴としての真珠を金の小さな容器にお納めして、その周りにその人の骨とかその人が身につけていた装飾品を入れる。1つの奉献塔から複数(410)の舎利容器がまとまって出てくることがある。おそらくファミリーの舎利塔であろう。(つづく)
 

 

 

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