《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

Gandhara Antiques specialty shop
 

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COLUMN 30


仏頭の表情を比較してみる

 


 しかし、ここで単純にガンダーラの仏頭の表情と、マトゥラーの仏頭の表情あるいはこれにアフガニスタンの後期
45世紀のカプシ仏の顔を比較してみるのもおもしろい。

非常にちがう。何故だろうか?

 



  やはりそれを製作した民族の違いから来るのであろう。マトゥラーを製作したのはインド人である。インド人の顔とは言わないまでもインド人的な顔である。ではガンダーラの顔は?インド的でない。理知的な整った顔立ち。やはり西方的、ギリシヤ(ヘレニズム)の要素を抜きにして考えられないと思う。

 

 ペシャワールの近くにチャルサダという町があり、そこにインド・グリークが住んでいたと言われている。アレキサンダー大王の残していったギリシヤ兵とインド人の混血集団がアフガニスタン北部より南下してチャルサダやタキシラに住みついた。彼らの造ったテラコッタ製の人形がよく出てくる。
 


 この種のヘレニスティックな造形の持ち主がガンダーラの中心地ペシャワールの近くに住んでいたわけである。
ガンダーラのこの顔立ちをインド・グリークと関係なく考えることはできないと思う。


 インド・グリークの存在はしばしば論じられている。一番古く有名なのが仏人のアルフレッド・フーシェがインド・グリーク説をとなえて久しい。しかる後にローマ影響説が強くなったり、他の説が出たりで、フーシェのインド・グリーク説がかすんでしまった感がある。それはインド・グリークに関する学術発掘が少なかったためだと思う。チャルサダの学術発掘がなされたことはなされたが、ほとんど何も出てきていない。タキシラのマーシャル発掘もあまり学術的な発掘ではなかったらしく、いろんなものが混じっていてどれがインド・グリークなのかはっきりしない。

そこで私はチャルサダに注目したい。
例えば、前掲のチャルサダ人形
(と勝手に私が命名した)は 、チャルサダからしか出て来ない。
(つづく)
 



追記:チャルサダ人形、コレクターの方が写真を下さいましたのでご覧ください。
典型的なチャルサダ人形です。

 

 

 

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