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COLUMN 17


アショカ王碑文(2)
 



 アショカ王碑文の説明を簡単に。
 

アショカ王、紀元前三世紀、マウリヤ朝の大帝国を築いた。戦争の残虐性を深く後悔して武力でなく、ダルマ(法)で国を治めようとした。そして、詔勅を発布し、国の至る所に石柱や磨崖に刻ませた。内容は不殺生、父母に対する敬愛、他人に対する尊敬……等、自己反省まで入っている。一番有名なのが柱頭に4頭のライオンを戴くつるつるに磨かれたアショカ王柱(石柱高さ約13メートルというのがまたすごい)、インド美術史の白眉である(写真2)。その柱の下の方にこの碑文がある(写真3)。私の問題にしている断片は石柱ではなく、磨崖に刻まれたものの一部であろう。もしホンモノなら。

 

写真2

 
写真3




 ニセモノとあきらめたが写真はとってあった。それから5〜6年経っただろうか。フランスの著名な碑文学者、コレージュ・ド・フランスのジェラール・フスマン先生と交信するようになった。何か碑文がみつかると先生に送り、先生の意見を聞いた。先生も心やすくていねいに返事をくださった。そして「以前にこんなのがあったんですよ」とこの碑文の写真を送った。そしたら先生の返事「これはアショカ王の碑文の一部で、すでに私と友人の……で発表した」と。そのときの私のショックたるや……。「アショカ王碑文が今、私の所にあって…どこかの日本の博物館にでも寄贈して……」。日本に残っていれば……と、考えることもある。その断片は、日本からロンドンに渡り、ロンドンの業者の手に渡り、フスマン先生の目にふれることになったようだ。

 

 もう一つこの件でつけ加えたいことがある。この話をある老学者に話したことがある。この話をおもしろく聞き、先生が曰く「やはり一部でなく全体の写真を出すことは重要なことなんだね」。見識ある言葉だと感じ入った。(おわり)
 

 

 

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