過去仏の仏塔について書いたついでに、仏塔について触れておこう。
「仏塔」については前述した杉本卓洲先生の『ブッダと仏塔の物語』に詳しい。詳しいと言っても「仏塔は謎に満ちその謎はふくらむばかり」というのが結論であるから厄介である。「土饅頭のかたちをしているが、それもどこから来たのか。」とも。古いインドの歴史のなかで仏塔を考えた場合、非常に複雑な問題があるのであろう。それを論ずる能力は私にはない。
ただ、ガンダーラの仏塔に関する限り、そう複雑に考える必要はないのではなかろうか。私は大胆に、次のように仮説を立てたい。
メイン・ストゥーパ、中央に位置する大塔は釈尊の遺骨をお祀りする墓である。そしてそのまわりにたくさんある小さな塔(奉献塔と言われている)は高僧も含まれているだろうが、当時の貴族(金持ち)の墓である。すなわち、釈尊の遺骨を祀る墓(塔)を中心にした寺院、すなわちシルクロードの交易で裕福になった金持ちたちの墓場であると。
まず大塔の周りにあるいわゆる奉献塔について考えたい。
奉献塔とは何か。詳しく定義した人はまだいないのではないだろうか。図1がほぼ完品の奉献塔である。高さ73p、スワート出土である。
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