「モデル」ということをまず考えてみよう。美しい着物を着た若い女性を前に坐らせて、画家が絵を描く。これが「モデル」であるが、これはつい近年西欧から伝わった「リアリズム」を表現しようとする絵画・彫刻技法である。その基はギリシヤにあるのであろうか。躍動する運動選手の筋肉をリアルにとらえたギリシヤ彫刻。そしてそれが中世にルネッサンス運動として、再び「リアリズム」が復興する。
美術史が「リアリズム」を求めていただけではない。北斎の富士山はリアリズムを求めたものではない。
北斎の心の内にあった富士の山にすぎない。
ちなみにここで、運慶の造った観音像について考えてみよう。先般の東博での運慶展で買い求めた一枚の絵ハガキがいつも私の机の上にある。彩色は江戸時代に施されたものらしい。もともと色もこんなふうであったと思う。美しい傑作である。そこで運慶に「この菩薩様、女性ですか。男性ですか」と聞いたとする。運慶ははたと困って答えに窮すると思う。考えてもみなかったことであろう。
歴史的には観音はもともと男性であったが、だんだんと慈悲深い母性的存在、中性的となる。彼にとってはそんなことはどうでもいいことだからである。彼の前の先輩の作品を踏襲したのであろうが、彼は自分の心の内にある観音像をひたすら造り上げただけである。私はそれを「イデー」と呼びたい。彼の心の内にある
、「これが菩薩様だ」という「菩薩のイデー」である。
ガンダーラ佛の仏の顔も、彫刻家の心の内にあるイデーを求めた結果の作品であろう。何かをモデルにしたわけではない。ではそのイデーとは何か。その時代の仏教徒の心の内を占領していた「仏」のイメージであろう。特別な個人的なイメージではない。その時代にその民族集団のもっていたイメージであろうと思う。
中国に渡ると、それは唐の時代の漢民族集団の「仏」に対するイメージとなる。
日本にくれば大和民族の、そして平安時代の鎌倉時代の……。
(つづく)
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