《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

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COLUMN 24


ゼウスの足
(3)
 


 アフガニスタンの北部はロシア(当時の)に面している。従って、北の国境付近に近づくときにはロシアの許可が必要。でないと鉄砲の玉が飛んで来る。許可を取るのに随分時間がかかり、フランス隊はイライラしたらしい。やっと許可が取れていざ出発。ところが、道のない山の奥の奥。国王の家来たちも、うまく説明できない。許可は
1日しかおりてない。早朝出発して探しに探しまくるも見つからない。そろそろ引き返さないと陽が暮れて帰れなくなる、許可は1日…。というそのとき、大理石のコリント式柱頭他かけらがぞろぞろと。1961年のことである。

 アレキサンダー大王の造ったギリシャ的植民地アイハヌム発見のニュースは世界中に飛びまわり、世界の関係者に驚きとショックを与えた。ちょうどその時、インドを訪問していた当時のフランスの大統領ポンピドーは帰路予定を変更してアイハヌムの現場を訪ね、その場で「特別予算」を決めた、というおまけまでつく。
 

 その後アイハヌムは発掘が進むものの、1979年にロシアが南下して来たためにフランス隊の発掘は一時中断を余儀なくされた。発掘されたところによると、「ギリシャ式アクロポリス」。丘の上に神殿があり、その下方にはジムナジウム(学校・運動場)があり、その隅からは運動・知恵の神様ヘルメスが発見されている。このヘルメス神は盗まれて今も行方がわからない(?)。この神殿のあった場所から、このゼウスの足は発見されている。すなわち神殿にゼウスが祭られていたのだ。仏隊の報告によると、立った姿だと2.8m、おそらく坐像であったろうと。当時(ギリシャ末期から)大きな像を造るのに、重要な部分、顔、手、足などを大理石で造り、あとは木でつなぎ合わせ、漆喰でかためて胴を造り、その漆喰の部分には衣をかぶせるという方法が取られたそうな。これもおそらくそうであった、と仏隊の報告書にある。

 写真
3を見ていただきたい。足の付け根ははっきりと切られている(古い切り)。ここで上の部分と木芯としっくいで継がれていたのだろう。
 

写真3
 

 

 
ついでに写真
4をお見せしよう。割れたときの大理石の内部の写真です。

写真4


 

ゼウスの足の内部の写真は、この文章を読んで下さる皆様と私たちしか見たことがありません。
これで大理石の産地が分かったりすると嬉しいのですが。

(つづく)

 

 

 

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